ラブライブ! 2nd Season

ラブライブ! The School Idol Movie を観に行ってきた。

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劇場版『ラブライブ!The School Idol Movie』挿入歌 「Angelic Angel/Hello,星を数えて」  (デジタルミュージックキャンペーン対象商品: 200円クーポン)
劇場版『ラブライブ!The School Idol Movie』挿入歌 「SUNNY DAY SONG/?←HEARTBEAT」 (デジタルミュージックキャンペーン対象商品: 200円クーポン)
劇場版『ラブライブ!The School Idol Movie』挿入歌 「僕たちはひとつの光/Future style」  (デジタルミュージックキャンペーン対象商品: 200円クーポン)


 いやぁ、久々に映画館に行った。
 記憶を掘り起こすとナデシコとか逮捕しちゃうぞとかにたどり着いてどっちが古いんだっけ? と思ったらナデシコが98年で逮捕が99年だったから実に16年ぶりの生映画であった(えー)。いや、忘れてるだけでなにか観てるかもしれんが。久々すぎてチケット購入が機械化されてて驚いたりした(マテ)。
 とりあえず劇場で一番プッシュしてるのがラブライブであることが一目瞭然で、入り口にはパネルが立ち並び、三つあった館内モニターのうち二つがラブライブ映像エンドレス放送、物販に加えて店員が週替りラブライブセットをアピール連呼するっていう徹底っぷりに「戦争は変わった」と震撼せざるを得なかった(えー)。
 ともかく、平日ということもあってかガラガラで席取り放題、ど真ん中の一番いい席を頼むことに成功して前の人も全然気にならず且つ左右もほとんどいないベストポジションで悠々鑑賞できて僕満足。
 ただ、一部のヲタ集団の話し声やらスマホの漏れ音やらが時折聞こえてきて、「お前ら始まる前の注意映像すらラブライブの特別版作って流してたのに何を観ていたのか」とイラッとした(ニガリ)。


 まぁ前置きはともかく。本編のざっくりとした感想を書きます。

 脚本の流れは、二期の最終回からの直の続きで第三回ラブライブがドーム開催を狙ってるという情報に全員でおののいていると、ことりママンから海外のテレビがスクールアイドル特集やるから現地で歌って的な依頼が来て一同アメリカへ(何故かアメリカという単語が意図的に外されてたけど、自由の女神が映った時点でニューヨーク確定)。
 なんやかんやで戻ってきたらアメリカの中継が日本で話題になってμ'sすっかり有名グループに。μ'sに対する周りの期待やドーム開催を成功させたいラブライブ運営の催促に、一度終了を決意したメンバーに電流走る。それでなくても『三月までは三年生も生徒』っていう強引なロスタイムで切り抜けてる現状である。
 あれこれ悩んだけど結局μ'sは三月いっぱいで解散(ここ重要)、でもその前に全国のスクールアイドルを集めて一つの自主路上ライブイベントを実施しドーム開催にこぎつける強攻策を断行。結果スクールアイドルの認知度を一気に引き上げ無事第三回ラブライブはドームで幕を開けたのであった(なお、開催当時には解散していたμ'sはゲスト出演した模様)。

 といったあらすじなんだが、まぁ正直主だってやってることが二期の繰り返しの印象が拭えなかった。
 二期と違ってこの物語の主人公は穂乃果単体で確定していたんだが、その穂乃果の“解決すべき問題”がアメリカから帰ってくるまで直接的に描写されずに中盤までもつれ込むので、“どういったことに主題を置いてるのか”が物語の一山来るまで分からないっていうのは構造上の不備だろう。
 その“問題”とは“なんのために歌うのか”ということなわけだが、この問題を解決するための布石として一度決着した“μ's解散論”をぶり返したことで、二期とやってることが同じっていう感じを受けてしまった。
 無論この作品の主題は“μ's解散”に直結しないのはわかった。こちらで重要なのは“なんのために歌うのか”で、穂乃果はそこに“次世代のスクールアイドルのため”という答えを出した。μ'sがいなくなっても次の世代がスクールアイドルという土壌を広げてくれると信じてその思いを伝えるために歌ったのだ。
 ただそこに持っていくために“μ's解散論”を使ったのは失敗だったと思う。むしろ「あれだけ悩んで出した結論だったのに!?」っていう想いが掠めて二期の感動をぶち壊しかねない“聖域”に手を出してしまった感。

 これは純粋に二期の続きとして作ったんだろう。ていうか、最初からこの流れで作ることを想定した二期の構成だった。つまり二期と劇場版を通して初めて一つの作品として成立する。それは正当な“続編”としての劇場版としては正しくない形に思える。
 それは、二期は二期、劇場版は劇場版で完結させるべきものだと思うからだ。だが、この作品はTVアニメとして完結したのに劇場版でその完結をなかったことにして劇場版で新たに完結させてしまった。二期の完璧な決着の付け方を“通過点”にされてしまったのはTVシリーズのファンとしては痛い。最初から通過点だったらこんなことは思わなかっただろう。
 極めつけに、最後の最後に三年になった雪穂や亜里沙が新一年生にスクールアイドルの歴史を語るエピローグまでつけているのだ。どっちで終わらせたかったのか一目瞭然である。
 一期・二期ともに脚本の不備はあってもシリーズ構成はしっかりしてたのに、最後に構成不備が出てしまうとは。あまりにも二期の卒業エンドが綺麗すぎてそれを上回る最後を作れなかったなぁ。もしかしたらラブライブ優勝から卒業式までのエピソードとしてなら、若しくは初めから(三期という意味ではなく)二期の続きとして劇場版の内容をテレビで放送されていたなら成立したのかもしれない。


 とまぁ、構成面でいろいろ書いたけど、個々のエピソードはしっかりしてたんだよね。
 存続を望まれることに苦悩し、それをいかにして消化するのかというメインは(映画単体で見れば)ちゃんと描かれていたし、肝であるライブシーンも1・2・3年生のトリオ・1000人規模の大多数スクールアイドルによる路上ライブ(A-RISEもあるよ!)・最後にμ's単体と合計5回を万遍なく散りばめる隙のない構成。


 『生えてくることり』『海未ちゃん顔芸シリーズ』等各種ネタも盛り込み既存ファンへのアピールもバッチリだった。
 個人的に『GoHAN-YA』がニューヨークにもあったのがツボだった(笑)。
 まぁ一番の最大瞬間風速は謎の女性シンガーが高山みなみで天道三姉妹が揃い踏みしたことだったけどな!!(えー)。
 しかも、ことりママンも真姫ママンも出番あったので完全に共演である。

 で、このキーパーソンになる女性シンガーであるが、他のメンバーには見えていない、穂乃果の心象表現に出て来て語りかける、といった描写から現実の人間ではないという可能性がある。この作品でこういうオカルト的要素を含むのかっていう疑問は残るが、生い立ちとか性格的なところを鑑みるにどうもこの人物は未来の穂乃果のような気がしてならないんだよなぁ。だからこそ穂乃果を後押しできるとも言えるわけで。冒頭の子供の頃のシーンとその後押しするシーンをダブらせてるのもそのメタファーになってる気もするし。
 まぁすっぱりいなくなってから穂乃果が気に留めなくなったんで真相は闇の中だが。

 なお、西田亜沙子がまったく関与してないことで作画面を危惧していたが、キャラデは元々共同の片割れの人だしCGの方はテレビからの流用だろうからまったく違和感はなかった。ところどころ西田亜沙子が描いたんじゃないかっていうよく似たエロい絵が何箇所かあったくらいで逆に驚いた(マテ)。


 というわけで総評。
 つまらなくはないが求めていたのはこれじゃない。以上(えー)。
 上記の通り、TVシリーズの構成を考えず劇場版単体としてみれば出来はいい。だが、続編として作ってある以上続編として評価せざるを得ないわけで、そうなると「二期の感動返せ」な部分が出てきてすっきりしないのであった。

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